誤診への抗議について
さん誤診への抗議について
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1332240078
で質問をしたものです。解答をいただきありがとうございました。
書き方が悪かったのかもしれませんが、私は担当医を誤診だといって抗議するつもりはなく、「告知のあり方が杜撰なのではないか」ということについて抗議をしたいと考えていました。
告知をされるほうは精神的に重い負担を負います。本人ばかりでなく、家族にも多大な負担をかけます。特に、肺がんという予後不良の病気の告知は慎重になされるべきではないか、それを簡単に告知するのは問題なのではないか、ということを指摘したいのです。
実際に上記に書いたような状況で「95%がんである」というようなことを言うのでしょうか。三ヶ月前の画像をまずは見てからでないと判断できませんね、というのが常識のように思うのですが。
さん
貴方の場合は画像診断で強く癌を疑ったが、癌細胞は出なかった、
ということと思います。そのような場合には、確定診断に至る気管支
鏡?細胞診?組織診をどの程度の間隔で行っていくか、というのが問
題です。そしてその決定は画像所見がどの程度疑わしいか、に大きく
依存します。
画像所見からの疑わしさは時間的経過と最新の画像所見の両方が
重要です。3ヶ月前になかったものが指摘され、その陰影が癌を疑わ
せる物であったなら、「95%癌である」という判断をすることはありえると
思います。腺癌なら3ヶ月でこれほど大きくならない、という意見も、
腺癌であるか否かが分かっていない状況ではあまり意味がありません。
肺癌が予後の悪い病気だからこそ見落としてはいけないわけで、繰り
返し検査する事を医学知識のない患者さんに納得していただくために
は、疑いの濃さを数字で表す事が不適切とまでは言えないと思います。
「~%癌と思われるので、2週間後にもう一度気管支鏡をしましょう」
と言われたとき、「~」の数字が80-90なら納得しやすいでしょう?逆に
20-30だったら「またやるの?」と思うでしょう?
「癌の疑いは~%程度でしょうから、2ヵ月後にCT撮影でいいですよ」
と言われた時、「~」の数字が80-90だったら、「もっと早く調べて!」と
思うでしょう?
呼吸器疾患の診療にあたる医師は癌を見落とさないことを最優先させて
おり、疑わしければ除外診断できるまで色々な検査を繰り返します
(勿論医学的常識から考えて必要な範囲、という条件でです)。
その検査の必要性を説明して抗議されては、癌診療は成り立ちません。
私は肺癌は専門外ですが、専門である頭頸部癌の領域でも同様の事は
起こります。内視鏡所見では十中八九癌と思われるが、細胞診や組織診
で癌細胞が出ない、という場合はしばしばあります。そのような場合には
繰り返し組織採取をしたり、より確実な方法(全身麻酔下の組織採取など)
での検査を勧めたりします。その際に、「内視鏡で十中八九癌と思われる」
ことを躊躇せずに説明します。そうしなければ患者さんが検査を拒否するかも
知れず、そうなったら治療の機会を逸してしまうかもしれないからです。
3ヵ月後の胸部CTで陰影が指摘されなかった、と言うことですが、「癌でない
可能性の5%にはいった」と言うことであって、担当医の説明が間違っていたわ
けでもありません。その3ヶ月間不安はあったと思いますが、画像診断が100%
の精度を持たない以上、このような事例はどうやってもなくす事が出来ません。
医療の限界、とお考え下さい。
補足
癌の確定診断のためにはどうしても組織をとって調べる必要があるため、患者
さんに痛い思いをしていただかなくてはいけません。組織採取の方法は、確実な
物ほどおおがかりで、時間?患者さん自身の負担?費用ともかかります。
ですから、CTなどで疑わしいと思われた場合、まずは簡単な負担の少ない方法
(肺癌なら喀痰細胞診、子宮頸癌や舌癌なら擦過細胞診など)から始めます。
しかし、食道癌や胃癌の内視鏡検査+生検など、最も負担の軽い物でもかなり
患者さんに嫌がられるものもあります。
CTで肺癌を疑った場合、気管に近ければ喀痰細胞診を最初に行いますが、
気管から離れていれば気管支鏡をお勧めせざるを得ません。気管支鏡をお勧め
するだけなら、「95%癌と思う」までいう必要はないと思います。「癌かどうか確認
するために検査をしましょう」で十分です。ただ、医師の勧めを患者さんが拒否する
姿勢を見せたら、お勧めする理由として「画像所見から95%癌と考えている」と話
すことはあると思います。多くの患者さんは組織採取を受け入れて下さるので、
私は「~%癌と思います」まで話すことはあまりありません。
もう一枚の画像を見てからでも、というお気持ちは分かりますが、3ヶ月前になか
った陰影が出てきているという状況で、大きさ、形から疑わしいと考えたら、早く次
の検査(気管支鏡、組織採取)に進んでおくほうが得策と思います。以前の画像
を見るために時間を費やすのはもったいないと思います。もちろん患者さんがしたく
なければ強要はできないので、「~月前の画像と比較して欲しいので検査は待っ
てください」と言っていただければ、私はそれ以上しつこく勧めません。
ただ、最近はこのような患者さんの検査拒否で診断?治療が遅れた場合も医師
の説明不足、と責任を問われるケースが出てきているため、何とか検査を受けて
もらおうと医師も必死に説明する、という場面が良く見られるようになってきていま
す。
蛇足ですが、診断が確定する以前の「~%癌と思う」という発言を「告知」と表現
されることにはかなり違和感があります。ここまで書いてきたように、これは診断確
定(癌ではない場合も含めて)に向かっていくために必要な説明であって、癌であ
るという結論ではないからです。
さん
たしかに、抗議なんかしても意味はないでしょうね。
でも、回答を見て、医師が患者の言葉にもっと耳を傾けるべきではないかと痛感します。
最初から二枚の画像を見て物を言っている慶應の先生と、一枚の画像だけで判断をしようとしている先生を比べて、後者のやり方には問題があるのではないか、というのが質問者の主旨です。
三ヶ月前の画像があるのに、しかも、その旨を医師に告げているのに、そのもう一枚の画像を見ようともせずに、がんだ、という。そういう告知のしかたは妥当なのか、と問うているわけです。「拙速」という意味をご存知ならば、この文章の主旨は理解できるはずです。
間違った診断をしているから抗議しようとしているのではなく、慎重な診断、より多くの情報に接しての診断をしなかった医師への抗議なのではないでしょうか。後だしじゃんけんとはまったく違う次元ですよ。
それに、可能性を述べたのみで告知ではないっていうけれど、素人の患者が専門家から「95%」がんだ、って言われれば、それは告知と同じくらいの強烈な響きを持つはずです。まして肺がんでしょ。患者の精神的な衝撃は計り知れないものがあるというべきです。正確な意味での告知ではなくても、患者の側からすれば告知されたと感じてもおかしくないことくらい、想像できないものでしょうか。「可能性を述べたのみ」なんて、そりゃそうかもしれませんが、あまりにも患者の苦痛を配慮の外に置いた発言ではないでしょうか。
がんだ、と言われる患者の気持ち、不安と焦燥のなかで煩悶する患者の気持ち、一枚の画像で即断されて奈落の底に落とされていくような気持ち、そういうものをもう少し分かってもいいのではないでしょうか。この抗議が患者のどういう気持ちの表れかを考えるべきです。そうすれば「可能性を述べたのみで、抗議なんて意味がない」なんていえないはずだと思います。むしろきちんと抗議をして、今後の患者への対応の仕方を考慮せよ、と主張すべきだと思いますが、違いますか?
もっとも、いくらこういっても「医療とはそういうものだよ」でおしまいかもしれませんが。
腫瘍内科医ということですから、日々患者に向き合っておられると思います。失礼な言い方かもしれませんが、もう少し、精神的苦痛にも配慮されてもよいのではないでしょうか。
さん
腫瘍内科医師です。
この質問にお答えになっている別の医師の方が述べられていることにほとんど同意見です。
たとえば慶応大学の先生が、大学病院での画像一枚でものを言わされたらどうでしょうか。
癌を全く疑わないのでしょうか。0%??でしょうか。最初の画像と合わせてみたら完全に0%になるのでしょうか。
画像はあくまで形態学です。こういう形をしていたら悪性の可能性**%という言い方にならざるを得ないと思われます。しかも経験論にすぎません。絶対ということは形態学ではありえないかと存じます。たとえば気管支鏡でとってきた細胞でさえ最終判断は形態学ですから、たとえばクラスIIIb多分癌かなー、できれば再検査してくださいなんていう返事が来ることだってありうるわけです。
画像というものはそういうものだろなーと思いながら診療をしています。私が一番最初の画像をとることもあります。そしてぎりぎりの判断をすることもしばしばです。一枚のレントゲンやうつりの悪いエコー一枚で即決即断しなければならないこともあります。一か月後に再検査するかなー??それとも3か月後??それとも疑わしいから今手術しちゃう??など。私のその時のぎりぎりの判断を他の情報と併せて後になって軽々しくひっくり返されても、その時点ではそうだったときっと言い張るでしょう。私は癌の可能性については疑った時点でその可能性があることはすぐ伝えます。でなければさらなる検査を嫌がったり、しなかったりされる方もいます。違うこともあるかもしれないけれども癌の可能性もある、90%!!ということだってあります。もちろんおもいっきり10%に入ることもあるかもしれません。
すべての画像や診断、経過まで知ってからやっぱり診断は外れてるぞ、というのは勝手だと思いますがじつは一番簡単で、場合によっては医師免許取りたての医者でもきっとできるでしょう。後だしじゃんけんで勝ったというようなものです。
結論としては、大学病院の医師は誤診をしているとは全く思えません。可能性を述べたのみです。そういうものは告知とは言わないでしょう。フロントラインで医療を行い、最終的に間違っているかもしれないけれどはっきりと意見を述べることの大切さをむしろ感じました。あと抗議することに何の意味も感じません。
医療とはそういうものです。理論だてて考えられるところもあるかもしれないし、そうでない、経験的なところもたくさんあります。いい加減なところだってあります。何が常識かわかりません。わたしは昨日の常識が明日の非常識になる世界に住んでいます。医学はサイエンス、医療はアート、、、私はいつもこの言葉を胸に医療を行っています。
私は他の先生が述べられたような理路整然とした意見は書けませんが、私見として述べました。